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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第3節 待ち伏せする日 [10]




「昨日の話じゃあ、ツバサは兄ちゃんを探してるんだろう? 兄ちゃんがいて、今は行方不明だってのは俺だって知ってる。だけど、あんな事してまで会いたがってるなんてのは知らなかったんだ」
 あんな事。夜の夜中にヤバそうな繁華街の裏道で売春をチラつかせるような男性と会ってまで。
「アイツ、最近ちょっとおかしくってさ。夏に澤村(さわむら)ってヤツの事でモメた時もそうだったけど、なんかこう、隠してるって言うか」
 蔦康煕は言い(にく)そうに首を捻る。
「他に男ができたってワケではないみたいだし。俺はツバサを信じてるから、ツバサが言わないなら無理に聞くのは良くないだろうとは思ってるんだけど、でも昨日みたいな事があると、やっぱり無視できない」
「ツバサに直接聞けば?」
「聞いたよ。昨日の帰りに聞いた。だけど、どうしても会いたいんだって事しか教えてくれなくって」
「ツバサがそう言うのなら、そうなんじゃない?」
 美鶴は、できるだけ素っ気無く返す。
 ツバサは、蔦康煕に対して少なからず引け目を感じている。
 自分はコウにとって不釣合いな人間なのではないか。里奈との関係を疑ってしまうなんて嫌な人間だ。だから、そんな自分を変えたい。憧れていた兄のようになりたい。
 そんなツバサの心内を蔦が聞いたらどう思うだろうか?
 そんな事はない。ツバサは十分魅力的だ。
 蔦ならそう答えるだろう。だが、ツバサはきっと、それでは納得しない。
 答えがわかっていて、それでも納得できないから、だから言えないんだ。
 それに、あんな行動を取ってしまったのが自分のせいだなどと、蔦に誤解はされたくない。そういう思いもあるかもしれない。この男はとにかく早とちりが過ぎる。
「ツバサを信じてるんでしょう?」
「そうだけど」
 曖昧に濁す蔦。
「お前、何か知ってるだろう?」
「何で私が?」
「だって、昨日一緒にいたじゃねぇか」
 一瞬躊躇い、窓へ視線を飛ばす。
「別に、頼まれたから連れていっただけ」
「あんな場所に」
「文句ある?」
 蔦の瞳が細くなる。
「俺は、家庭環境で人を判断するのは正しい事だとは思ってない。だから、お前を差別するつもりはないけれど」
 言葉を選ぶように慎重に発言する。
「あんな場所で、しかもあんなヤバい知り合いがいるなんて、正直育ちを疑う」
「そう」
 育ちを疑う。
 嫌になるほど聞かされてきた言葉だ。今さら気にもならない。
「あんな知り合いがいるなんて、金本たちは知っているのか?」
「知らない」
「霞流って、あの駅舎の持ち主だよな?」
 美鶴は黙ったまま。
「昨日は気付かなかった。家に帰って気付いたんだ。お前に駅舎の管理を頼んでいるヤツって、あの男か?」
「だとしたら?」
「金本たちは、知っているのか?」
「霞流さんになら会ったことある。聡も瑠駆真もね」
「正体、知ってるのか?」
「正体って何よ?」
「しらばっくれるな。下手な誤魔化しは嫌いなんだよ」
「お言葉ですけど、言われている意味がわからない」
「バラすぞ」
 瞬間、二人の視線が絡み合う。
「あんな男と関わりを持つなんて、やめておけ。これは忠告だ」
「どうして私なんかに?」
「お前は」
 そこでコウは一瞬躊躇い、視線を床に落してからボソリと答えた。
「俺はお前が、嫌いじゃない」
 予鈴が鳴る。そろそろ移動しなければ間に合わない。
「それにお前は、金本が好きだって言ってるヤツだ。変なトラブルにこれ以上巻き込まれたら、金本のヤツも可哀想だ。だから、これ以上関わるようなら、金本にバラす」
 美鶴はあまり身長差のない相手を見返し、身を翻した。
「ご自由に」
 そう言って背を向け、教室へと戻った。



 あれは、ハッタリだったと思う。
 実験の説明をぼんやりと聞きながら美鶴は奥歯を噛む。
 正直、瑠駆真や聡に知られるのは困る。知れば二人はどんな行動を起こすかわからない。そんな男はヤメろだなどと喚くかもしれない。
 霞流さんはそんな人じゃないのに。
 じゃあ、どうしてツバサには隠そうとしたの?
 窓へ視線を移す。冬晴れだ。空気が澄んでいる。外に出れば寒いだろうが、こうやって窓を閉じて陽の光だけを浴びていれば暖かい。
 バレンタイン、何も渡さなかったな。
 ため息が出そうになって軽く口を押さえた。スカートで携帯が震える。そっと取り出してみた。メールだった。
【昼休み、空いてる?】
 ツバサだった。





「会ってもらえない?」
 ツバサは無言で頷く。
「お兄さんが?」
「直接話したワケじゃないけど」
 昨夜、兄が滞在しているであろうホテルの名前が書かれたメモを握り締め、ツバサは眠る事もできなかった。
 早めに家を出、通学途中の公園で電話を掛けた。別に携帯でかけるのだから、部屋でかけたってよかったのだが、もし会話が長くなって部屋から出てこないツバサを家族や使用人が心配したら困る。
 兄の話は家ではタブー。誰も口にはしない。まるで最初っから居なかったかのよう。それでいて、母などは使用人に、定期的に兄の部屋を掃除させている。いつ帰ってきてもいいように。
 兄が戻ってくる事を、望んでいるのだろうか? それとも、自分に従順だった存在が、忘れられないのだろうか?
 ホテルに電話をして、フロントで涼木魁流という滞在者名は在ると聞かされた。ドキドキしながら取次ぎを待った。だが、兄が電話に出る事はなかった。
「お客様がお取次ぎを拒否されておられますので、こちらとしては取次ぎはできません」
 ツバサがどんなに食い下がっても、フロントは冷たく返すだけ。







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